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ナムジャイブログ

2008年10月24日

女語学

4:53 AM 10/23/2008

で、サイアムパラゴンの本屋でブラブラしていたら、日本語で書かれたタイ語の本が結構置いてあることに気がついた。 タイ語で苦労している日本人は多くて売れ筋なんだろうか。 かなりの種類が置いてあった。

その中に「間違いだらけのタイ語」というようなタイトルの本があることに気がついた。 元々、英語に関してはこういう本は本当にたくさん売られていたけど、タイ語に関する間違いだらけ本はあまりなかったように思う。 しかし、昨今のタイ語ブームにのってこういうタイトルの本が徐々に多くなってきた様な気がする。 手にとって読んでみた。

多くは僕が既に気がついていることばかりで特に読むべき点は無いように思った。 で、それ以上に、読んでいてなんというか、不条理感というか、不愉快になってきた。 何故だろうか。

書いてあることが細かいのだ。 実際にコミュニケーションをとる上で事実上まったく問題とならないような細かな間違いを事細かに修正している。 その細かさが腹立たしかった。 その間違いにはタイ人もよくやるような間違いも多く含まれていた。 もちろんタイ語で公式な文章を書くときにはそういう細かな間違いが問題になってくるだろうが、しかし、間違いがない確実なコミュニケーションをとる上で、そんな文法上の細かな間違いは問題にならない。 そんな細かなことよりももっと大きくて重要なことがある筈なのだ。 その細かさの背後に、日本の受験勉強の弊害の臭いがした。

前、在タイ日本大使館に行った時、そういう受験勉強の弊害の様な日本人タイ語話者を見たことがある。 僕は断言してよいと思うのだが、この人たち、実に流暢なタイ語を話すのだが、実はあまり通じてないのだ。 タイ人独特なツーカーの言葉にならないコミュニケーションの方法を軽視しすぎている。



こうやって「間違いだらけ本」に書いてあることをいっこいっこ読んでみれば、確かに僕が気がついていないことも書いてあったりする。 それはそれで実は読んでいて面白かったりもするのだが、僕のいいたいことは、「じゃぁ間違いだらけ本に書いてあることを全部丸暗記したらタイ語が上達するのか」ということだ。 答えは明らかに「否」なのだ。

大切なのは知識量ではなく「常識感覚」を磨くことだ。 要は、テレビ番組「知ってるつもり?」の様なものだ。 「○○の時こうするのが普通か?」「○○のとき△△△するのは普通か?」というような、一般常識感覚である。 これはその人自身がそれまでに経験してきたことに対する統計力と言い換えられるように思う。 この感覚こそが、言葉の正しさに対する感覚そのものではないか、と僕は思う。 語学の勉強とは、正にこの「常識感覚」を磨くことに他ならない。

「間違いだらけ本」というのは、ある人がその人の「常識感覚」を使って知りえた知識ダラダラと書いているだけではないか、と僕は思う。 その「常識感覚」をまだ持っていない人がそういう知識を片っ端から覚えていっても、身につかないし、使いこなせない。これは例えば、男の子が雑誌に書いてある「デートの時にしてはいけない100選」を徹底的に丸暗記してデートに挑んでいるようなものではないか、と思う。 相手にしてみれば実に「興ざめ」なのだ。 これは語学も同じである。

以前ラオスに行った時日本語がとても上手な人に会ったことがあった。 その人は僕に「今日は暑いですね」といったが、僕はこころひそかに「おめぇ!ラオスっつーのはな!毎日あちーんだ!」と叫びたい衝動に駆られた。 この様に、紋切り型で対応する人というのは、実に興ざめなのである。 これが僕が大使館であった日本人のタイ語の達人と同じである。 実に興ざめなのである。 語学というのは多少ヘタクソでも心がこもっていたほうが100倍喜ばれると僕は思う。

その時々の相手の雰囲気を読んで行動を切り替える敏速さを身につける。 ネイティブであれば誰もが無意識にやっていることではあるが、このことの大切さは、いくら強調してもしすぎるということは無いと思う。



で、このことを考えるとき、英語を勉強している時代に出会った英語が得意な女性達のことを思い出す。 僕は英語を勉強していた時期が長いのだが、そういう英語を勉強していた時代、苦労している僕に、語学が得意な女の子達がよってたかって「あんなことも知らないの?そんなことも知らないの?」的に知識量をつかって僕をいじめにかかることは多かった。

女の子が語学が上手なのは当たり前なのだ。 これは僕は「頭の構造が違う」としかいいようがないと思う。 女性は語学をマスターするのが異様に速い。 生まれつき語学の天才だと思う。 そんなことは無いと思われるだろうか。 女性だって普通だ、と思われる人も、一度くらいは男性の語学の上達の遅さでイライラしたことは無いだろうか。 男性というのは言葉を覚えるのが非常に遅いものだ。

で、女性によっては、自分の語学の上達の速さに酔いしれてしまう。 女性の語学の上達が速いのは当たり前なのだが、そのことに気がつかず、自分が知っている知識の量をひたすら自慢したがる。 で、自尊心を満たすために、僕の様なものを知らない語学初学者をいびり始めるのだ。 で、僕は漠然と、こういう「間違いだらけ本」というのがこういう女性たちによって書かれているような気がしている。 自分の知識をひたすらダラダラと書き連ねていくのだ。

本来であればそこに「抽象化」という作業が加わらなければならない。 そうやって得た知識のデータベースを俯瞰することでそこに1つの法則を探し出す。 法則が見つかればそれ以降であう未知な経験に対しても対処することができる。 そういう抽象化はとても大切なことなのだが、彼女たちの本には、その抽象化がないのだ。 抽象化がないデータは実践であまり役に立たない。

特に外国から孤立した日本に住む日本人は、外国語を話す経験が乏しい為、目先の情報に惑わされやすくなりがちだ。 僕はこういう「間違いだらけ本」というのは、初学者にとって、とても有害だと思う。 こういう本は、それを全て覚えなければ上達する事は出来ないというような錯覚をもたらし、無用な努力を費やさせてしまう。 実際にはもっと別なところに大切なことがあるのだ。 これらの本は、初学者にとても長い貴重な時間を浪費させてしまう危険を持っている。




多分語学というのは、勉強する以前の問題として、語学を学ぶ者の心構えみたいなものが重要なんじゃないかという気がしている。 僕はドイツ語とかロシア語とかあちらこちらの言語に手を出しているほうだと思うけど、どの本も最初の方に書いてあることは変らない。 「出来るだけ英語じゃなくて相手の母国語で話したほうが喜ばれる」とか「できるだけネイティブと話せ」とか。 これが滑稽なまでに同じなのだ。

ドイツ語の本には「ドイツ語上達のドイツ人と話すことだ!」ロシア語の本には「ロシア語上達の必勝法はロシア人と話すことだ!」広東語には「広東語上達の必勝法は香港人と話すことだ!」とか、それぞれの先生がそれぞれの経験からトクトクとそういうようなことを書いているが、要するにこれは同じことである。

つまり、日本人というのは特殊なのだ。 海に囲まれた島国である日本では外国語を話すということは極めて得意な経験で、他の陸続きの国の人と比較すると、外国語を話すということ自体にとても不慣れなのではないか、というような気がする。

日本人にとっては、まず外国語を話すということはどういうことなのかを知ることが何よりも大切なのではないだろうか。 禅の国、日本人にとって、そこにはきっと「語学道」というものがあるのではないか、と僕は思う。 ところで、語学の上達の道筋は正に禅の教えで説かれている「牛を探す話」と全く似ていると僕は思うのだけど、どう思われるだろうか。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E7%89%9B%E5%9B%B3

日本人は語学が苦手だといわれて久しいが、この「語学道」の存在に気がつき、それを極めようと日々精進すれば、いつか「日本人は語学が得意だ」といわれる日も来るのではないかという気がする。




Posted by ピイカウホア at 04:56│Comments(11)
この記事へのコメント
毎回難解ですね。
本などよりあなたが一番細かいですね。
「まあまあ」なんて言っても納得してくれないでしょうが
オフ会に参加されたように、もう少し肩の力を抜いた方が
自分が楽になりますよ。
楽を求めてないかもしれませんが。
Posted by ピヤポン at 2008年10月24日 12:59
こんにちは
「間違いだらけの~」いかにもマニュアル好きの日本人にはピッタリなんでしょうかね。
以前、故金田一先生がフランスでフランス人言語学者から「日本人は日本語という単一語しか理解できないと言われているが、それは間違いだ」と言われたそうです。
びっくりして先生が聞き返すとフランス人曰く「九州の言葉も関西弁も標準語も理解しているではないか。あれはフランスにおける近隣諸国との言葉の違いと何ら変わらない。」と説明されたそうで・・・
私は言葉は意思が伝われば十分と思いますがね。
Posted by OrionOrion at 2008年10月24日 13:05
↑ピヤポンさんもう少し言葉を選んでください。

確かに、相手に伝えたいという所から、正論なのですが、説明が長いかもしれません。

懇切丁寧といえるのですが、もう少し短くして頂けると読むほうも助かります。

これは私のブログも言えることなのですが、、、。

ピヤポンさんのせいで、言いたいことかけんやないか!!
Posted by HetmanHetman at 2008年10月25日 13:05
語学な得意な日本人を目指したいですね。

島国なんで俺も語学コンプレックスがあります。

今度、ちんぽビンビンのタイ語で本を書こうかなと思っています。(笑)
Posted by HetmanHetman at 2008年10月25日 13:06
>本来であればそこに「抽象化」という作業が加わらなければならない。 そうやって得た知識のデータベースを俯瞰することでそこに1つの法則を探し出す。 法則が見つかればそれ以降であう未知な経験に対しても対処することができる。 そういう抽象化はとても大切なことなのだが、彼女たちの本には、その抽象化がないのだ。 抽象化がないデータは実践であまり役に立たない。



この意見に賛成なのですが、実は、これが、女性と比較して語学が不得意な男性の思考そのものではないかとも思います。

自分は男性なので良く分かりませんが、女性は言葉を抽象化して法則を見つけ出そうと積極的に考えてはいない方が多いため、語学が得意なのかと想像します。

女性と、男性で、白黒2分できるわけではなく、誰でも女性的な面と男性的な面があり、その比率により思考スタイルの差があると考えています。
Posted by guanglai at 2008年10月26日 03:40
guanglai様
>自分は男性なので良く分かりませんが、女性は言葉を抽象化して法則を見つけ出そうと積極的に考えてはいない方が多いため、語学が得意なのかと想像します。

本当は、理論と実践は車輪の両軸みたいな物なんだと思います。

空手をやるのでも、組み手ばかりやっていても強くなれないでしょうし、乱捕りばかりやっていてもなかなか強くなれないのではないでしょうか。


あまり理屈っぽくなりすぎてもよくないですし、かといってやたらに経験をつむだけでもダメなんだと思います。

タイ語を1週間ぐらいしか勉強してない僕が言うのもなんですが
(^-^;;;
Posted by ピイカウホアピイカウホア at 2008年10月26日 13:45
Orion様、

>以前、故金田一先生がフランスでフランス人言語学者から「日本人は日本語という単一語しか理解できないと言われているが、それは間違いだ」と言われたそうです。

面白い話ですね。

いい意味でも悪い意味でも、日本に居るとすごくアメリカに偏った状態になるのかも知れませんね。

日本人が語学がヘタって言われて久しいですが、日本人がタイ語を勉強すれば大体半年もあれば話せるようになりますし、中国語も近いものがあるように思います。 韓国語に到ってはもっと短い時間でいけます。

英語と日本語は語族も音素も随分違うので学習が大変なんだと思うのです。

逆にタイに来れば、タイ語がヘタクソどころかしゃべれもしないアメリカ人なんてゴマンと居ますし。
Posted by ピイカウホアピイカウホア at 2008年10月26日 13:53
ピヤポンさん、

難しくてかったりーって思ったら単に読まなければいいのです。 僕も難しいと思ったら結構読まないです。

で、読みたいと思って理解できなかったら、ひがんで嫌味を書いたりしないで、聞いてください。

(^-^;;;


でも、やっぱり語学の難しいところって、こっちにとってはマニアックなほどに細かくても、ネイティブにとってはネコでも知ってるってくらい、当たり前なことだったりする事じゃないかって思います。
Posted by ピイカウホアピイカウホア at 2008年10月26日 13:59
ヘットマン、

>これは私のブログも言えることなのですが、、、。

でも、僕、ヘットマンくらいの長さがあったほうが、多少読み応えがあって面白いと感じます。

あの、長いって文章が、です。
Posted by ピイカウホアピイカウホア at 2008年10月26日 14:15
さて、あれから5年の月日が流れ、ラオ語が話せる様になった。ラオ語が話せる様になったら、全てが楽勝になった。 人によってはこのことを「肩の力を抜く」というのかも知れないけど、力を抜く為に必要な能力がなければ出来無い。 力抜いたらボロボロになるのに、力抜いてボロボロになったら、バカだ。

力入れすぎだ、難解だ、あれこれ文句言われてばかりいたが、最初に力抜いて楽になったって、後で苦しくなって辛くなるだけだし。最初に色々力んで頑張った分、後で力抜けて楽になったので、ボクチャンはある程度納得です。

へろへろーん。

おかあつ日記
http://oka-ats.blogspot.com/
Posted by ピイカウホアピイカウホア at 2013年02月01日 21:46
今は2013年だ。2008年は今から5年前。当時、おかあつは、まだラオ語が話せなかった。

さて。人は、ダイヤモンドが好きなものだが、ダイヤモンドの原石には目もくれないものだ。 目もくれないどころか、踏みにじって蹴り飛ばし、海に向かって蹴り捨てるのである。

おかあつ日記(ピイカウホア)
http://oka-ats.blogspot.com/
Posted by ピイカウホアピイカウホア at 2013年02月01日 21:54
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